Profile
「自画像」67歳 1999年作
F8(45×38cm)
Madame Yamashita 記
この絵を描いている様を見ていると、「そろそろ残しておいたほがいいと思ってね」。 私はその言葉の真意を図りかねた。 いつもに増して切れ味鋭く、凄まじい勢いで絵が仕上がっていく。 帽子(実際の色はネイビーブルー)は私がプレゼントしたもので、娘達が父の日に贈ったシャツを身にまとって。 まだ癌は発覚していなかったが、後に考えるとこのとき病魔は彼を蝕んでいた。 彼はなにを見つめているのだろう? 展覧会場でこの作品を見てくださった生徒さんが、「先生の自画像、ステキ~」。 「ステキ? だってモデルがいいもん」(笑)。 |
1932年(昭和7年) 鹿児島市生まれ (1933年~1947年中国在住) 1944年(昭和19年) 奉天千代田在満国民学校(小学校)卒業(16回生) 1945年(昭和20年) 第二次世界大戦終結 父親はシベリアに抑留 動乱の世で中国からのすぐの引き揚げが困難で、2年進級が遅れる 1950年(昭和25年) 鹿児島県立高等学校第四部併設中学校卒業 同年 鹿児島県立甲南高等学校入学 同年 鹿児島県高等学校美術連盟を設立 1953年(昭和28年) 鹿児島県立甲南高校卒業 1956年(昭和31年) 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻入学 1958年(昭和33年) 鹿児島山形屋で初個展 1959年(昭和34年) 新宿風月堂で個展 1960年(昭和35年) 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻修了 1970年(昭和45年)~1981年(昭和56年) 1級建築設計事務所サミット商業設計主宰 1983年(昭和58年) ル・サロン入選 1984年(昭和59年) サロン・ドートンヌ入選 1987年(昭和62年) 第1回多摩秀作美術展入選 1988年(昭和63年) 多摩地域の美術家展「Will50人展」初代事務局長 同展覧会で2000年(平成12年)まで毎年100号の作品を発表 1993年(平成5年)~2000年(平成12年) NHK学園オープンスクール絵画教室講師、絵画教室主宰 銀座画廊、沖縄山形屋、画廊アサズマ(長野)、小倉井筒屋、四方画廊ほか鹿児島、京都、国立、立川などで個展多数 2000年(平成12年) 逝去。享年68歳 ■特技のProfile 山下玲司はマルチっぽい人だった。 画家であり、1級建築士であり、筆力もあり、料理や水泳などもとびっきりうまかった。 小倉百人一首競技かるたは6段位。 玲司Junior恵令(えれ)が6歳のときから「かるた」を指導。小学生チャンピオンとなった娘と一緒に何度もTV出演したり、雑誌にでたり。 根っからのクリエイターだった。 1949年(昭和24年) 小倉百人一首競技かるた 第1回鹿児島県かるた会に参加 1979年(昭和54年) 最高位クラスA級(4段以上の部)に昇級 |